bridgeover 多面体ブログ

上州と武州の麗人 上武大橋

上武大橋での めぐり逢い 6907

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橋の向こうの五十景
上武大橋

□上武大橋での めぐり逢い 6907


 絵里(えり)は、自転車で上武大橋に向かった。背負ったリュックにはバスタオルでくるんだクラリネットのケースと紙箱に詰め込んだ折り畳める譜面台。夏休みが始まったが8月を前にして、今日はやけに暑い。
「………………………!」
 乱暴な言葉を吐いて、ペダルを踏むが、チャリンコゆえに、汗をかくが進みは良くない。
「ヨッシャー!」
 上武大橋の影部分に到着した絵里は、リュックを前カゴに入れて、ハンカチで顔の汗を抑えた。ケースからクラリネットを丁寧に取り出し、繋いで「スーっ」と、軽く息を注いだ。譜面台を組み立てて1枚の譜面を取り出し、前髪を留めていた朝顔が描かれた髪飾りで譜面台にセットした。
「ヨッシャー!」
 リードを用意して、準備は終えた。

       * * *

 上武大橋の真下は思ったよりうるさくなく、時々通り過ぎる大型車両が「コー・コー」と唸っていた。そんなノイズも気にせず、スローなナンバーを繰り返し演奏していた絵里は、かれこれ3時間ほどの時が経ち、上武大橋と共に風景の一部になっていた。

       * * *

 練習を終え、売り出されたばかりの保冷剤とタオルで包んでいたオレンジの缶ジュースを口にして、後仕度を始めた。高い気温でホットな味がした。
「いい曲だね」
 何処からか声がした。絵里は橋の下から周りを見回した。
「いい曲だね」
 その声は、橋の上からするので、絵里は場所を変えてみた。そして耳の後ろに手を添えた。
「何と言う曲なんだい」
「ムーンライト・セレナーデです」
「いつか聞いたような気がするんじゃが」
 絵里は声をかけてみた。
「誰ですか?どこから話しているんですか?」
 絵里は、数ヵ月前に、ここで起きた事を思い出した。そして
「上武(じょうぶ)のおばあちゃん?ですか?」
 絵里は、大声で尋ねていた。その大きさに、自分自身が驚いて慌てて周りを見回した。
「おばあちゃん?わしはおばあちゃんかい?」
 橋が笑いながら返してきた。
「友達と時々、橋が話をするという話をしているんです。でも、私には聞こえないんです」
 絵里は両手を拡げてみた。
「ともくんじゃろ?」
 橋は、絵里が話を終わる前から話しかけてきた。
「よく覚えてますね。そう、智(とも)です」
 橋が絵里に問うてきた。
「えりちゃんと言ったね?わしの声が聞こえるんだね?」
「ええ、しっかり聞こえています」
「えりちゃんは楽器が出来るんだね?」
「はい。ブラスバンドに入っています」
ブラスバンドって?」
「はい。吹奏楽部に入っています。秋に音楽祭があるんです。それで練習を。」
 絵里は驚いた。今まで何の気なしに話をしていた。友達とダベっているように、不思議だなんて気がつかずに。思わずに。
「そうかい。いい音していたよ」
「おばあちゃんは、この曲が好き?」
「ああ。若い頃に、聞いたことがあるようだ」
「1950年頃に演奏されていたみたい」
 絵里は、音楽室で先月聞いたばかりの話を伝えた。

「お姉ちゃ~ん」
 堤防の上から絵里を呼ぶ声がした。
「美春(みはる)。練習済んだの」
「バッチリだよ」
 日焼けをした妹の美春は水泳の帰りだった。
「お腹が空いた」
 絵里は、お腹を指差した。
「お母さんが、今日は、うどんだって…。」
「今日は、冷やし かき揚げうどんだね。」

「また来るね」
 絵里は橋に別れを告げた。
「ヨッシャー!」
 橋が笑いながら絵里の言葉を真似てきた。
「上武ばあちゃんたら。ハハハ」
「お姉ちゃんどうしたの?」
 絵里と美春、上武ばあちゃん橋。みんなでハハハ。
 自転車を漕ぐ姉妹のシルエットが小さくなっていく。その奥には大きく輝く7月の夕陽。

 
□上武大橋 群馬県・埼玉県 2022 february
□上武大橋でのめぐり逢い
□物語はフィクションです。
利根川に架かる上武大橋にて